top of page
検索

カウント・ベイシー(Count Basie)楽団を聞きに行って考えたジャズの伝統と革新


 

  こんにちは、ジャズピアノ研究室管理人の田中です。


 先日、ブルーノート東京にカウント・ベイシー楽団が演奏に来ましたので、本公演と、後日別枠で開催された「Basie Swings the Bluesの楽しみ方」というセミナーに行ってきました。セミナーの方は、お題の通り、バンドリーダーのScotty Barnhart氏からアルバム「Basie Swings the Blues」に関する話を聞けたり、その後のQ&Aでは、Scotty Barnhart氏をはじめバンドメンバーに直接質問できるという貴重な時間が用意されており、とても充実した時間を過ごすことができました。


 一応、改めて書いておくと、私は大学のビッグバンドサークルでジャズに出会い、ベイシーの曲をたくさんやりましたので、ベイシー楽団というのは自分のジャズの原点のような圧倒的に特別な存在というわけです。


 今回のブルーノート東京でも、本公演、セミナー共に、学バンの学生と思われる若者がたくさん来ており、普段のブルーノートよりも若干平均年齢が下がっている印象でした。私が学バンをやっていたころに生まれたような学生が、今、こうしてジャズをやっていることが嬉しかったです。


 今回の記事では、この公演やセミナーを聴いて考えたジャズの伝統と革新について、私なりに書いてみようと思いました。先に結論を書いておくと、いつも述べているように、やっぱりジャズをやるならば好きなジャズジャイアントに対する尊敬を忘れず、彼らの音楽が好きだという気持ちで向き合っていくのが良さそうだ、ということです。


 これは各所で私が書いていることで、人によっては反感を感じ、反論をしたくなる人がいることでしょう。もちろん、それはそれで良いと思いますし、どちらが正しいのか、といった議論するつもりはもちろんありません。


 それよりも、今回ベイシー楽団を聴くことで改めて確認できた「ジャズをやるならジャズを聴かないと」という考えを掘り下げることで、様々な方がジャズに向き合う際に、一つの価値観や指標として役に立てばと思っている次第です。ただし、今回は練習方法のような内容は書いておりませんので、予めご了承ください。内容的には随筆に近いかもしれません。


楽譜
Shiny Stockings イントロ
 

 さて、ここまで私はベイシーが原点だとか、大好きだとか、偉そうなことを書いてきましたが、白状すると、めちゃくちゃ久しぶりに生演奏を聴きに行きました。前回聞きに行ったのがいつだかはっきりいつだったか思い出せません。10年は経っていると思います。下手すると学生の時だったかもしれません。

ピアノがTony Suggsだったはずだと書けば、分かる人には大体の時期が分かると思いますが、そういうレベルで「久しぶり」です。


 今回なぜ久しぶりに聞きに行くことになったかというと、正直深い理由はありません。たまたまブルーノートのホームページを見ていて発見したからです。すぐに「これは行こう」と思いました。


 振り返ると、学生だった頃の私は、「ベイシー本人」が好きだったため、ベイシー亡き後のベイシー楽団に、どうしても拒否感がありました。さらに言えば、フレディ・グリーンも鬼籍入りしているし、それが拍車をかけていました。今思えば狭い了見です。更に、正直な所、私が学生の頃にベイシー楽団のピアノを務めていた上記Tony Suggsピアノのスタイルをベイシーと比較すると、さすがに「個性的」すぎると感じていました。


 そんなわけで、正直今まで、何となくノーマークだったわけです。しかし、あれから時が経ち、ジャズへの理解度も(多分)上がった今、ふとベイシー楽団の来日を知った時に、上記のような細かいことは気にせず、久しぶりに聞きに行きたいと思いました。ちなみに、ピアニストについても、「あれからメンバー変わったんだなー。今度の人はどういうスタイルだろう」位の軽い認識です。


 楽しみにしていた当日、いよいよ実際に演奏を聴いてみると、これはもうベイシー楽団そのものでした。管楽器のうねるサウンド、リズム隊のスイング感、ピアニッシモからフォルテッシモまで統制された音量。まあそんな演奏を披露してくれるのは、彼らの音楽性からすればいい意味で当たり前なのかもしれません。もちろん、新しい曲で知らない曲もありましたが、大体ブルースですし、全く問題なしです笑。時期的にクリスマスソングも多かったです。そして、往年のレパートリー、学生時代に自分も演奏した曲など、一瞬で当時の記憶がよみがえるようでした。


 ベイシー存命の頃の実物を聴いたことがないので分かりませんが、その時期のCDを聴く限りでは、おそらく当時のバンドと今のバンド、ほとんど全く変わらないサウンドなのだろうと感じました。

 

 それを考えれば、前回ベイシー楽団を聞きに行った時も同じはずですが、当時の私は今よりはるかに未熟で、そこまで意識を及ぼすことができていませんでした。ですから、ピアノにのみ気を取られ過ぎた、木を見て森を見ない、狭い了見だったということです。


 

 この昔から変わらないと思われるバンドのサウンドを考えた時、このベイシー楽団の演奏から、ある種の「クラシック音楽の様な」発想、音楽への向き合い方を感じ取りました。どういうことかと言えば、クラシック音楽は、(簡単に言えば)作曲家の意思(遺志)を、楽譜や様々な資料の解釈を通して、自分なりに現代に表現するものです。

 

 ベイシー楽団も、ベイシー存命当時の伝統的なスタイルを守り、今の私たちに伝えてくれています。ここの部分から、伝統を守りながら、現代に作曲家の精神を伝えるクラシック音楽と共通の精神を感じ取ったということです。


 そして、偶然か必然か、セミナーのQ&Aの中で、その精神がどのようにして成り立っているのか知ることができました。

 有料のセミナーの中での内容のため、あまり詳しい内容を明かすことはできませんが、「ベイシー亡き後、カウント・ベイシー楽団として活動する中で、伝統を守ることと、時代に応じて音楽が変化していくことへの対応をどのように考えるか?」といった質問が出ました。これは私も含め、恐らく多くの人がごく自然に感じる疑問ではないかと思います。


 そして、その回答の要旨は「自分たちはこれまで通りベイシー楽団の音楽をやるだけだ。」というものでした。この時、”Strong”という単語を使って、ベイシー楽団の音楽が持つ、時代を超えても変わらぬ素晴らしさを説明していたように記憶しています。


 とにかくバンドメンバーがベイシーの音楽を愛し、それを受け継ぐことを誇りに思っているのが伝わりました。ただ一応、補足として、「とはいえ、新しい音楽をやる場合も、それは自分たちの音楽を通して、それらを表現する。」ということで、今度の新譜の「ベイシー・ロック(?)」について解説されていました。


 これまで私はジャズという、自己表現や即興性を求められる音楽における、耳コピとオリジナリティ、表現の方法などを自分なりに考えて来ました。人によっては、それを頭でっかち、考えすぎ、もっと素直に楽しめ、と思うこともあるかもしれませんが、まあ色々な楽しみ方があるということで、大目にみてもらえればと思います。

 

 そんな悩める私?にとって、このQ&Aの回答は目からうろこであり、ジャズに向き合う際の一つの大きな価値観になったことは間違いありません。ジャズであっても、意外と古き良き演奏を貫くという発想も有りだなと思ったのです。


 同時に、この古き良き演奏を自分に取り込むにあたり、大きな役割を果たしているものが、徹底的な過去の音源の聞き込みと練習であるということも分かりました。楽団のメンバーはとにかく過去の録音を聴き込んでいるというのです。このことから、改めて、ジャズにおける音源の聞き込みがいかに重要か再確認したことは言うまでもありません。


 ここで、相対的に演奏の自由度が低いビッグバンドですら、ジャズには即興要素が多分に含まれるわけです。従って、録音技術の登場は、ジャズの発展に大きく寄与していることは間違いないでしょう。即興要素が強く、演奏の再現性が低いジャズでも、演奏を記録し、それを聞き返す作業が可能になったことで、先人の演奏を注意深く学ぶことができるようになったということです。


 その点、クラシック音楽は、良くも悪くも基本的に作曲家自身の演奏や、指揮したオケの録音などは基本的に残っていません。(1900年代入ってくるとその限りではありませんが。)楽譜や資料、口伝を通して音楽を解釈していくわけです。また、楽器の発展状況も現在とは異なります。


※尚、歴代の名ピアニストの演奏は多々残されていますが、それらはあくまでも作曲家本人の演奏ではないので、ここではジャズの音源とは立ち位置が少し異なると考えています。


 その結果、現在、バッハの曲をピアノで演奏する場合、「バッハがもし今の時代のピアノを弾いたらこのように弾くだろう」と想像して、大きなダイナミックレンジや派手な表現で演奏するパターンと「当時の楽器は音量変化に乏しいから、それに倣ってシンプルに弾く」という解釈の違いが発生したり、そもそも演奏する楽器にチェンバロを選択したりするわけです。(書きながら、この内容はクラシックTVでの清〇氏が言っていたことの受け売りだという気がしてきましたが。)


 このように、作曲家の意思を尊重しつつも、演奏者の解釈で様々な表現を追求していくのがクラシック音楽の魅力であり難しさというわけです。


 ちなみに、大作曲家の多くは即興演奏の名手であったと伝えれられていますが、当然、その演奏がどのようなものだったかは知る由もありません。現在、クラシック音楽において即興演奏を行う習慣がなく、主に楽譜に基づいた演奏を行うのは、こういった録音が残されていないことも、一つの要因ではないかと思ったりもしています。


 話を戻して、一方でジャズの場合、即興というかなり自己の内面をさらけ出す行為であるにも関わらず、先人の見本的な録音が残されているわけです。このおかげで多くの偉大な演奏が失われずに済んだ反面、先人の「見本」を最大限尊重しつつも、自分はそれをどう吸収し、その上でどのように自分らしい演奏をするのかを考えていく難しさが出てくることになります。


 そういった背景を踏まえて考えてみると、ベイシー楽団は録音の聞き込みや往年の奏者との共演経験に基づき、先人の演奏の尊重と、自己表現の間のどこに落としどころを見つけるか、という問いに対する一つの答えを提示しているように感じました。すなわち、徹底的に伝統を受け継ぐ自己表現もあるということです。私は、ここに作曲家の意思を現代に伝える「クラシック音楽らしさ」を見出したのでしょう。


 もしかすると、ビッグバンドのように、比較的自由度が低いジャズだから、音源に忠実な演奏に全力投球することが可能だと考えることができるかもしれません。確かに、多少なりともその可能性があることは認めざるを得ないでしょう。しかしながら、ビッグバンドにもソリストのソロはあり、ベイシーの特徴的なスタイルを筆頭に、リズム隊の演奏が全て譜面化されているわけではありません。世の中の音楽も変化しており、メンバーの音楽経験もより多岐に渡るはずです。


 それら含めて現在のメンバー各個人が往年のベイシー楽団になりきるというのは、並大抵の音源の聞き込み方ではないはずですし、同時に、音源が存在するからこそ成しえることだと考えられるのです。


 さて、この後は更にビッグバンドではなく、もっと即興性の高いコンボジャズの場合、この伝統の継承と自己表現のバランスがどのようになっているか考察してみます。


 ここでちょっと考えて頂きたいのが、あなたはチャーリー・パーカーとか、バド・パウエルか、ウィントン・ケリーとかいう名前を聴いた時に、既にどこか歴史上の人物の様な感覚を覚えたりしませんか?もしかすると、かなりご年配の方の場合、その限りではないかもしれませんが、この記事をインターネットで読んでいる年代ですと、おそらく、そういうことは稀なのではないでしょうか。


 そして、繰り返しになりますが、ジャズというのは上記のような先人の録音を聴いてそれを学び発展してきた歴史の流れがあります。もうこれは事実としてそうなので、そういうものだと理解するしかありません。


 つまり何が言いたいかと言うと、ジャズをやる上でこういった人々を、クラシックでいうところのモーツァルトやベートーヴェンの様に崇めているわけです。それが悪いことだと言いたのではありません。


 それを踏まえてちょっと視野を広げると、このような人々と共演したり、生の演奏に触れていた人たちというのは、実は割と最近鬼籍入りしたばかりだったり、まだ高齢ながら存命だったりするのです。


 前者の例として、チックやマッコイ、バリー・ハリスは本当に最近まで存命でした。私はハンク・ジョーンズの生演奏なら聞いたことあります。私のジャズ歴からすると、トミフラは残念ながらギリギリ過去の人ですが、レイ・ブライアントの生演奏を聴いたことがある年上の知人ならばいます。


 つまり冷静に考えると、ジャズ、特にビバップ以降のスタイルというのは結構新しい音楽なのです。(100年ほどの歴史があるので、本当に古いものは、昔ですが。)そうなると何が起こるかと言うと、本人たちが存命中に、その音楽のスタイルを丸々真似するべきかどうか、ちょっと考えてしまいませんか?


 さすがにピアノにおいて、バドほど影響が強いと、その流れに乗るしかない所はあるかもしれませんが、逆にその天才性を含めて誰も真似できないからこそ、「パウエル派」という呼称が存在するのでしょう。パウエル派のピアニスト達はそれぞれ個性があるとはいえ、それはあくまで大まかに言えばバドのスタイルの中での個性になります。


 で、当然、アマチュアでそれで楽しければ満足という場合はともかく、(何度も登場して頂いている)小曽根さんがピーターソン存命中に、ピーターソンのそっくり物まねばかりをやっていても仕方ないでしょう。


 今、脂がのっている円熟世代のベニー・グリーン、エリック・リード、サイラス・チェスナット、ジェフ・キーザー、ビル・チャーラップあたりは、こういった、ジャズ発展期の生き字引がまだまだ現役だった頃にキャリアの初期を積んだ世代になるのではないでしょうか。


 そうすると、影響を受けたピアニストはそれぞれたくさんいるでしょうが、それぞれが自分のスタイルでジャズを発展させていくことになります。


 しかし、もうあと何十年も経過し、誰一人ビバップの生き証人の生演奏など聞いたことがない時代が来た時に、次世代の小曽根真のような人が現れたらどうでしょうか。ピーターソン(まあ、ビバップじゃないですけど・・・)は既に完全に歴史上のピアニストで録音しか残されていません。そんな時に、かつてのピーターソンの技を生で演奏してくれる人がいれば、聴きたい人はたくさんいるだろうと想像します。


 私の学生時代、大学のサークルで「キャノンボールの生演奏を聴いてみたかった」と言っている人がいました。私自身は今でも「ピーターソンの演奏を聴いてみたかったものだ。」と思い続けています。(2000万円くらいするベーゼンのピアノロールの演奏ならば聞いたことありますが。)


 そういった事実を踏まえて考えてみると、現在、エメット・コーエンがストライドピアノを恐ろしい精度で弾きますが、これは既に、ファッツ・ウォーラーなどがあのような演奏をしていたものを、現在に蘇らせてくれているとも考えられます。


 もちろん、アドリブ含めて、100.0%完コピというのは人間である以上は不可能です。多少奏者によって個性がある位が楽しいでしょう。小曽根さんとマリアン・ペトレスクが完全にピーターソンの物まねをしても、きっと若干の個性は出るはずです。完全な本物は録音に任せましょう。


 何が言いたいかと言うと、ベイシー楽団の伝統を守る演奏やその精神は、いつかジャズ全体に波及してもおかしくないし、そうなってほしいと思う個人的な気持ちもあるということです。それと同時に、現在というのは、ジャズ第一、第二世代から、その子、孫世代へリアルタイムで音楽のバトンタッチが起きている時代なのだろうと思っています。


 ショパンやリストは既に歴史上の人ですが、当時、彼らが自作曲を自分の演奏会やサロンで演奏していた時代だってあるのです。


 さて、そろそろ話をまとめたいと思いますが、今回、ベイシー楽団を久しぶりに聴いて、その変わらぬサウンドから、ジャズという即興性が高くも先人の演奏を尊重し、自己の表現を開拓していく音楽の、伝統と革新について考えてみました。


 ベイシーが亡くなってから40年ほどですが、楽団メンバーは過去の録音をとことん聞き込み伝統の演奏を守ってきました。ビッグバンドとはいえ、即興要素の多いジャズにおいては、驚くべきことだと感じています。


 また、コンボジャズにおいては、冷静に考えればジャズは比較的新しい音楽であり、現在というのは、ちょうど「過去」が「過去」になりつつある時代なのだと考えた次第です。今後、もう少し時代が下り、現在の立ち位置とは異なる古典化したジャズが誕生する世界を創造してみました。これはこれで楽しみだし、私自身はそういった時代も経験してみたいと思っています。


 いずれにせよ変わらぬ点として、ジャズをやる上では、過去の録音、先人の演奏を好きになり、それをいかに自分の表現に加えていくのかを考えることが大切であるということでしょう。この取り組みはジャズの文化であり、録音技術が発展したからこそ成しえた部分もあると考えられます。


 時代と共に音楽への向き合い方、聴き方は様々に変化していくとは思いますが、やはりジャズをやりたいなら、音源は聞かないといけませんね笑。


 最後に、当サイトのYouTubeチャンネルにて作成しているベイシー・イントロの再生リストのリンクです。(コチラ


 ベイシー・イントロは基本的に音数が少なく、音を再現するだけであれば技術的にそこまで難しくないことが多いです。しかし音数が少ないからこそ、正確な位置や長さで音を出してテンポを提示し、演奏をスイングさせる難しさもあります。また、コード進行もシンプルです。ですから技術的には余裕を持ちつつ、自身のスイングのセンスを磨くのに適しています。もしよろしければ是非、参考にして頂ければと思います。

※今後も随時、更新、追加していきます。


今回の記事があなたの役に立ちましたら幸いです。


 

もっとジャズについての情報を知りたい方は是非メルマガ登録をどうぞ!

「ピアノ経験者がジャズピアノを始めたときに、

 挫折しないために知っておくべき重要ポイント」

​ ・約37000字に渡り解説した、ジャズピアノをやり始める時に知っておきたいこと。


 
 
 

Comments


bottom of page